以前にも、マンションの玄関横のきれいに剪定された 「ヒバ」 の木を紹介したことがあります。
樹木や低木を刈り込んで作る様式を、「トピアリー」と呼んでいます。
古くは古代ローマ時代にまで遡れる技法だそうで、イタリアを中心にヨーロッパ全体で楽しまれているようです。
さて、写真の植え込みもきれいに剪定され、道路側にズラッと並んでいる光景は、なかなか圧巻な感じで構成されています。
これが、一般商業施設とかの民間ならさもありなんと通り過ぎるのですが、県立尼崎病院という公共施設の植え込みだというのに驚かされてしまいました。
庭師が入り、手間を掛けての剪定作業。かなりの経費が掛かっているのだろうなぁと感じた次第。
勿論景観を大事にすることに反対はいたしませんが、もう少し別なところに予算をかけてもいいのではと、しばし思案しておりました。
とある工具屋さんの前を通り過ぎようとしましたら、懐かしい表現を見つけてしまいました。
<舶来>という2文字がなんだか懐かしく、いまだにこのような表現が使われているのかと、足が止まってしまいました。
さしずめ今の表現では「輸入工具」とでもなるのでしょうが、工具に関する社会背景が違うところまで一般の人が理解しているだろうかと考えておりました。
世界的に自動車業界も不景気のようですが、日本の自動車業界はメンテナンスフリーの思想が根底にあり、短いサイクルでモデルチェンジを行い消費者に買い替えを進めてきました。
他方欧米では日本の消費社会とは反対に、車の耐用年数を長期に維持することを謳い文句にしてきたように思えます。
当然メンテナンスが必要となり、企業・個人を問わずに専用工具が発達してきたように思えます。
日本の工業製品は車に限らず、いまだに使い捨て思想から離れられないように感じていますが、どうなんでしょうか。
全国24か所ある競艇場のひとつとして、兵庫県下に尼崎競艇場があります。
阪神電鉄に乗り大阪方面に出向きます時、車窓から競艇場が眺められます。
上りで大阪に向かうときは朝が早く、帰りの下りではレースが終わってしまっていて、残念ながら水面を走っているボートを見たことがありません。
呑み仲間にものすごく競艇の好きな<S>さんがおられ、毎回話を聞いているうちに、門前の小僧宜しく競艇に関してはどなたとでも話を合わせることができるレベルまでに達してしまいました。
舟券を買ったことなどないのですが、兵庫県出身では<魚谷>や<吉川>がいいなど知識は、バッチシ教え込んで頂きました。
蔵三つ分程度は使ってきたというSさん、もう競艇に関する笑い話には事欠きません。
「あの水面の下にはおれの金が沈んでいる」というのが口癖ですが、本日は<G3プリンスロード>の優勝戦日。
スタンドのどこかで<S>さんが、叫んでいるような気がしています。
80代の男性として誕生し、そこから徐々に若返っていく運命のもとに生まれた男「ベンジャミン・バトン」が0歳で生涯を終えた奇妙な人生を、数々の出会いと別れを通して描いた『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』が、2009年2月7日より全国で公開されます。
時間の流れを止められず、誰とも違う数奇な人生を歩まなくてはならない彼は、愛する人との出会いと別れを経験し、人生の喜びや死の悲しみを知りながら、時間を刻んでいきます。
<F・スコット・フィッツジェラルド>の短編小説を『セブン』の<デヴィッド・フィンチャー>が、第一次世界大戦時から21世紀に至るまでのニューオリンズを舞台に、映画化しました。
主人公の「ベンジャミン・バトン」を演じるのは<ブラッド・ピット>。共演は『バベル』でも<ブラッド・ピット>と顔を合わせた<ケイト・ブランシェット>、その他<タラジ・P・ヘンソン>、<ジュリア・オーモンド>、<ジェイソン・フレミング>らが名を連ねています。
夕方のビールのうまさのために、我慢しているというわけでもありませんが、普段から間食もお茶もあまりたしなみません。
本日、キレイナオネイサンから、お茶を出して頂きました。
写真では分かりませんが、高さ10センチばかりのかわいい大きさの急須です。
一人分として使いやすく、取っ手がないのもいいとのご意見でしたが、門外漢の私は??でした。
蓋を取って、ぐい飲みに使うのがいいのではと感じていたんですが、さすがにキレイナオネイサンの前では言えませんでした。
とある焼鳥屋さんの入口に、石うすなのかつくばいなのか分かりづらいのですが、中にきれいな睡蓮が浮かんでいました。
水を打たれた入口にこのようなものがポツンとあるだけで、お店に入りたくなりますね。
睡蓮という名称は園芸上の名称で、植物図鑑に掲載されていないことが多いように思えます。
和名は「ヒツジグサ(未草)」。「未の刻=午後2時」に咲くのでそう名付けられていますが、実際は明るくなると開き、暗くなると閉じるようです。
本来なら花を閉じている夕方ですが、呑み客の入りだす時間帯です。明るく照らされた照明器具の下、寝ぼけて花弁を開いている様子は、少しばかりかわいそうな気がいたします。
前作 『ジウ Ⅰ』 にて、9歳の<本木沙耶華>の誘拐事件を素早く制圧したSAT隊員の<伊崎基子>巡査は、巡査部長へと特進、決まりにより上野署の交通課に移動になりますが、マスコミ取材の攻勢を受け、轢き逃げ捜査から外れてしまいます。そんな時、フリーライターの<木原>から、誘拐グループの首謀者<ジウ>が、歌舞伎町に出没するというを噂を聞き、追い求めていきます。
一方<門倉美咲>巡査は、<沙耶華>の誘拐犯として拘留している<竹内>の取り調べを<東弘樹>警部補と組み取り調べを続けていますが、<新世界秩序>の思想を語る<竹内>に手こずりながらも、新たな情報を引き出すのですが、翌日彼は拘置所内で自殺をしてしまいます。
<伊崎>の行動と<門倉>の捜査を描きながら、突然「私」という人物が語る章が挟み込まれ、読み手になんだろうと疑問を投げかけるのですが、この「私」が<ジウ>の育ての親だとわかり、また闇の世界のフィクサーとして存在する人物でした。
首謀者<ジウ>の捜査中に、信用金庫に強盗・立てこもり事件が発生、犯人は<竹内>を<ジウ>に紹介した元自衛官の<西尾>だと判明しますが、SAT隊員が強行突入した際に爆破が起こり、隊員は全滅してしまいます。
エピローグでは、新しいSATの制圧一班の新隊長として<伊崎>が復帰、任命されるところで『ジウ Ⅱ』は終わりますが、「私」の伏線を知らされている読者には、この<伊崎>の移動自体が、不気味な前触れとして次作に引き継がれていきます。
JR元町駅の東側の交差点で、交通調査が行われていました。
ダウンジャケットを着込んでおられますが、寒いでしょうにと思いながら、しばし眺めておりました。
カウンター計は10数個並んでいて、車の種別によりカウンターを押し分けています。
瞬時に車の種別ごとにカウンターを押すのは、横で見ていて大変だと感じました。
一人で何時間座っているのか分かりませんが、この寒い中「トイレはどうしているんだろう」とつまらないことばかり心配してしまいます。
調査目的は分かりませんが、なにがしらの目的があるはずですが、考えても分かることではないので早々に退散してまいりました。
慣れた場所での外食は、どんなお店か内容も承知していますので、食べたいメニューもすんなりと決まります。
いつもながら、出先にてのお昼ご飯選びには苦労いたします。
割と人通りのある商店街を歩いておりますと、やたらたくさんの看板を出しているお店が目にとまりました。
洋食なのかイタリアンなのか、どんなものかとメニューを読み始めたところ、人波に押されてしまいました。
んん〜、ボケッと眺めているわたしも悪いのでしょうが、横向きで友達同士でお喋りをしている団体にも問題があるのではと思うのですが・・・。
それは別として、人通りの多い商店街の中のお店の基本として、一目で内容と値段が分かる看板にすべきでしょう。
これでは、お客さんを引きつけることは出来そうにもないなぁーと思いながら、結局立ち去りました。
私の住んでいる住宅団地から、山陽月見山駅に出向こうといたしますと、2種類のコースから選ぶことになります。
ひとつはなだらかな坂道をのんびりと下るコース。
もひとつは、近道になりますが写真のような通称「百段階段」と呼ばれている階段を利用するかのどちらかの選択になります。
「百段階段」とはよく言ったもので、数えてみますときっちりと百段あり、決して数の誇張ではありません。
高低差20メートル、ご年配の方も休憩しながらこの階段の近道を選ばれているようです。
休みながらでは、時間的な節約にはならないように思えますが、きっと階段に近いところのお住まいではないのかなと想像しながら、「お先に」と言って通り過ぎています。
- If you are a bloguru member, please login.
Login
- If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account