《”寺家ふるさと村(2)2021/11/14!?!” 》 ハゼノキ(櫨の木); 山野に生え、高さ7〜10m、幹の直径8〜12cmになる。 幹は灰褐色~暗赤色で平滑。若い樹皮は皮目があり老木になると縦に裂け目が入る。 全体に毛が少なく、ほぼ無毛。枝は灰褐色〜帯赤褐色。 葉は互生し、長さ約30㎝の奇数羽状複葉。小葉は、4〜8対で広披針形~狭長楕円形。 先が長くとがり、全縁、ほぼ無毛、裏面は緑白色。小葉が垂れ下がることが多い。 葉裏は緑白色、葉裏の側脈がヤマハゼやヤマウルシほど目立たない。秋に紅葉する。 若芽は、無毛で緑色又は赤くなる。雌雄別株。黄緑色の小花を円錐花序に多数つける。 ヤマハゼは葉軸に毛が密生し、小葉の幅がやや広く、葉に毛が散生する。 ヤマウルシは幹が灰白色で、褐色の縦筋がある。 葉幅が広く側脈数が少なく、側脈と主脈の角度がやや小さい。 「令和参年(皇紀2681年)11月16日、記」
《”寺家ふるさと村(1)2021/11/14!?!” 》 レンプクソウ科(Adoxaceae) のガマズミ属(Viburnum) の実と思う上画像。 ガマズミ(鎌酸実、莢迷・・学名:Viburnum dilatatum )とは異なるか??? 花は、大きさ等で区別できるだろうが、赤い実では区別が難しいほど良く似ている。 鎌酸実の名前の由来は、実が酸っぱい事からきているらしい。 ムシカリ 、ヤブデマリ、ミヤマガマズミ、チョウジガマズミ、コバノガマズミ、 オニコバノガマズミ、 これらの実、同じように真っ赤に実る。ガマズミ属だろう、と思いはすれど明確に特定できない。 葉身に托葉が無い、実の付き方等で、ミヤマガマズミではなかろうか。 「令和参年(皇紀2681年)11月15日、記」
《”ふれあいの森晩秋2021/11/14!?!” 》 ノラボウ(のらぼう); ノラボウナは、東京都西多摩地方及び埼玉県飯能市付近で栽培されてる野菜。 江戸時代初期にはすでに各地で栽培されていたと伝えられている。 耐寒性に優れ、天明の大飢饉、天保の大飢饉の際に人々を飢饉から救った。 春に咲くと聞いているが、こんな季節に花を咲かせていた?? 「令和参年(皇紀2681年)11月14日、記」
《”寺家ふるさと村の晩秋2021/11/13!?!” 》 オケラ(朮); 学名に混乱があると言われているが、ここでは上記のように記すことにする。 短い根茎があり漢方薬に利用される。茎は細く、木のように堅くなる。 葉は互生し、下部の葉は長さ8~11㎝、3~5裂し、縁には刺状の鋸歯がある。 根生葉は花時には枯れてない。葉は秋の終りに黄色くなって落ちる。雌雄異株。 頭花は直径約2㎝、筒状花だけからなり、やや紅色を帯びた白色、稀にピンク色。 雄株は雄花、雌株は両性花であり花冠の先は5裂する。総苞は長さ10~12㎜の鐘形。 総苞片は7~8列。魚の骨のような特徴ある形をした総苞外片が、2列に総苞を包む。 総苞外片を苞葉と解説している図鑑もある。 (2列の総苞外片は外苞葉 と内苞葉といい、その内側に総苞があり総苞片が多数 )。 「令和参年(皇紀2681年)11月13日、記」
《”泉の森の晩秋2021/11/12!?!” 》 サラシナショウマ(晒菜升麻) キンポウゲ科(Ranunculaceae) 学名:Cimicifuga simplex Wormsk. 地下茎は横に伸び、茎は高さ1mに達する。上部は分枝し短毛を密生させるが、下部は無毛。 葉は複葉で長い葉柄があり互生し、葉縁には鋸歯があり葉柄基部は広がり茎を抱く。 茎先や葉腋から太い穂状花序を伸ばしブラシ状に白い小花を多数付ける。 真っ白い巨大なネコジャラシの容貌。蕾状態では、「ヨウシュヤマゴボウ」にちょっと似ている。 ふわふわの花は、日があたっていると、遠目でもあちこち咲いている如くによく目立つ。 類似の「イヌショウマ」等と見分ける点は、個々の花の付け根に短い花茎がある事。 「令和参年(皇紀2681年)11月12日、記」
《”横須賀・鴨居・観音崎2021/11/07!?!” 》 "谷内六郎”さんの名を聞くと、「週刊新潮」の表紙絵を描いておられた方。 描かれた、親しみある画風は、我々の心を魅了し続けた御仁であった。 天星するに早すぎた、と惜しまれる。その画伯の記念回顧展が開かれている。 横須賀美術館内に谷内六郎館があるが、改装中で本館で展覧されていた。 「特別展示:生誕100年 谷内六郎展 いつまで見ててもつきない夢」 昭和31(1956)年に創刊された『週刊新潮』の表紙を創刊以来、飾り続けた足跡。 谷内六郎(1921-81)の原画数・約1300点余りが横須賀美術館に所蔵されている。 今回の展では、『週刊新潮』表紙絵をはじめ、戦後まもなく発行された漫画本、 兄が経営する「らくだ工房」で作られた染色作品、子どものための手作りオモチャ、 第1回文藝春秋漫画賞受賞の抒情的初期作品群、装丁本等、多彩な展示であった。 * * * * * 開催している横須賀美術館は、東京湾に面し観音崎灯台の近くに位置する。 又、後ろの緑の丘陵上に防衛大学校があり。最寄り駅は“馬堀海岸駅。 京浜急行の本線は、かつて馬堀海岸駅を通り浦賀駅が終点だった。 大津駅から久里浜駅が支線だった。後に三浦海岸駅まで延長している。 今は、こちらが本線となっている。だが三崎までは鉄道が行っていない。 かつて横須賀は、造船の町でもあって、浦賀ドックは、立派だった。 海軍基地の街、人口も其れほど多くは無かった頃、国立病院があり、 市立病院があり、私立の総合病院も2つもあった。半世紀も前のことだ。 横須賀の変貌は、70年安保頃が変わり目か?都市開発が始まった。 今の16号線沿いの海岸線(よこすか海岸通り)沿い住宅は埋立地上に建つ。、 馬堀海岸は、昔、大海水浴場で、走水は地元の人が行く静かな場所だった。 観音崎灯台の近く、開発された住宅地奥に谷内六郎さんのアトリエがあった。 昔を思い出す。親と植物観察に散策してる折、幾度かお会いした事があった。 アトリエは、今の横須賀美術館の裏手になる。画伯の庭みたいな所だ。 「令和参年(皇紀2681年)11月11日、記」
《”職人感覚デジカメ・復活NIKON!?!” 》 一眼レフカメラの最高峰Nikon F。機能もさることながらデザインもまた素晴らしかった。 ピラミッド型ファインダーに象徴される直線を基本としたボディーラインは、當に工芸美。 ニコンFは、機能や堅牢性、ニッコールレンズの秀逸性も加味しプロに愛用されていた。 ニコンFは、フルメカニカルカメラ。メンテナンスも可能で道具として使用に耐える。 フィルムカメラからデジカメに移行すると、日本のプロ用機材群は世界を席巻する。 銀塩一眼レフではNikonが圧倒的だったが、デジカメ時代に入るとCanonが台頭。 報道写真界での使用分布での話。今は、個性豊かな機材が日本には色々ある。 そんな中、ミラーレス・フラッグシップ機としてNikon Z9が発表された。 4軸チルト式モニター、3D-トラッキング、最長125分の8K動画機能など搭載。 メカシャッター非搭載。このミラーレスカメラ「Z 9」、価格は税込70万円前後に由。 総画素数5,237万画素積層型ニコンFXフォーマットCMOSセンサー(35.9×23.9mm)を搭載。 3000万画素以上のミラーレスカメラで世界最速のスキャンレートと云う。 それによりローリングシャッター歪みを極限抑制。“メカシャッターの要らない構造に由。 自動焦点(じどうしょうてん)は、ディープラーニング技術を用いた被写体検出。 検出できるのはミラーレスカメラで世界最多という9種類もあるという。 人物(顔、瞳、頭部、胴体)、犬猫鳥(其々頭部、瞳、全身)、車、列車、飛行機の各所。 同社ミラーレスカメラで初めて「3D-トラッキング」を搭載している。AF演算は120回/秒。 ファインダー(EVF)は「Real-Live Viewfinder」の名前で、表示解像度は約369万ドット。 一眼レフでのミラーアップによる像消失がないだけでなく、メカシャッターも使わない。 連写の開始/終了時における同一画像のリピートやワープ(表示飛び)がない。 動画機能も充実、ゆっくり動く被写体、速く動く被写体もスムーズに追従する。 手ブレ補正は、ボディ内VR、シンクロVRのほかに、電子手ブレ補正も利用可能。 EXPEED 7エンジンの採用で性能が大幅に進化した由。仕様としては、D6を上回る。 外形寸法は約149×149.5×90.5mm。重量は約1,340g(バッテリー、メモリーカード込み)。 一眼レフカメラの「D6」と比べて約20%の小型化としている。 その他、各所に新技術・改良点が見られ、他メーカーのフラッグシップ機を上回る性能。 * * * * * Nikon F(親所有)を持って先輩にモデル撮影会に連れていって頂いた(遥か昔のこと)。 その時のモデルさんの中に入江美樹(ベラちゃん)さんや長谷川照子さんがいた。 このお名前を知る人は、かなりの高齢だろうね!! Fに135mmをつけて持参したが、メインはMinolta Autocordで撮った様に記憶してる。 Fは、殆どバッグの中に。懐かしく思い出す。 デジカメ時代に入って、ニコンは報道写真に余り登場しなくなって、と聞いていた。 自分では使っていなかったこの20年来だが、やはりNikon派の自分がいる。 そして我が仲間の報道写真家がバタバタと、天星、寂しいかぎりだった。 彼等は皆、Nikon派だった。 Nikkor 14mm~600mm迄借用して撮ったこともあった。 落ち込んでいた昨今だったが、Nikonが爆発した。驚くも嬉しい。やっぱりNikonだ!! 仲間の最長老は、ライカ一辺倒の人だ。僕は、フジとシグマ。 なんとか、私家版植物図鑑を作りたいが夢だ。頑張ろう!! 「令和参年(皇紀2681年)11月10日、記」
《”こだわり・職人気質のデジカメ!?!” 》 フィルムカメラ時代から日本にも色々と楽しいマニアック仕様の機材はあった。 僕自身、山岳・植物・仏像等々、比較的静物を求めて撮り歩いてきた。 アナログ(フィルム)時代には、6☓6判を主に、時折大判カメラも使っていた。 フィルム代を考え、一枚入魂って・・・慎重に一枚一枚撮ったものだ。 デジカメ時代になり、フィルム代は不要になったが、センサーを使いこなせない。 最先端技術に全くついていけない。オート仕様にすれば良いのだが、、、。 アナグロで育ったものとしては、どことなくマニュアルフォーカス&露光に傾く!! デジカメの中で殊更、拘ったカメラが“FUJIFILM X-Pro1・ 2・ 3"がある。 デジタル表示を見ながらダイヤルやファンクションボタンを駆使し操作する時代に、 フィルムカメラのようなアナログ的な操作系を採用し、クラシック的なカメラ。 『X-Pro3』は、レンズ交換式デジタルカメラの中でも特異な存在と思える。 デジタルカメラが進化するにつれ、様々な機能が備わってきて撮影者には便利だが、 何かを失いつつあるって感じる。操る楽しみ、詳細にセッテング、ワクワクする感覚。 写真を撮る道具として、便利・不便という観点に当てはまらないカメラ『X-Pro3』。 フラッグシップのテクノロジーが詰め込まれたカメラとも思う『X-Pro3』。 超個性的で全ての愛好家が好むものではないが、五感を研ぎ澄まして撮るカメラ。 道具としての『X-Pro3』、写真文化を支えてきたフジフイルムらしい素晴らしいカメラ。 同じフジフィルムからラージフォーマット中判デジタル機が身近になってきた。 先日発売された『FUJIFILM GFX 50S II』は、ボディ内手振れ補正機構を採用している。 高解像度による手振れにシビアな中判デジタル機の登場に驚く!! 先の『GFX 50S』は、中判カメラシステムをデジタル化させた機種で特筆したい。 今度の『GFX 50S II』はよりライトに使えるようミラーレス機として進化したと言えよう。 中判カメラの手持ち撮影は、手振れとの戦いであることは周知の事。 弱々しくある老人にとって、中判デジタル機を手持ち撮影できるカメラの登場に驚いた。 「令和参年(皇紀2681年)11月09日、記」
《”尖ったデジカメ!?!” 》 ここ数年、主に帯同しているデジカメはSIGMA dp0 Quattro。 SIGMA dp0 Quattro本体の形もユニークだが個性的なデジカメ。 而して、dp0は14mm(35mm判換算で21mm相当)の広角レンズ。 そのレンズ構成はまさに豪華絢爛。高性能レンズを使い超広角。 「ディストーションゼロ」歪み0.5パーセント。このレンズの凄味。 広角は周り周辺が歪むことは、当前。その概念を打ち砕いた。 foveonセンサーは、等倍にしても画像が鮮明、建築物撮影に適している。 更には、カラーモードも多種、RAW現像すると更に良い。 基本をマスターしていない。それなのに魅力的なデジカメが次々に出てきた。 dp0を使うにあったって、オートフォーカスではなく、マニュアルフォーカスで。 所が、ピンぼけばかりで・・・目の治療をしないといけないか??? それにもまして思うことがある。機材が軽すぎてブレるとおもえもする!?! 「令和参年(皇紀2681年)11月08日、記」