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あああのブログ

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宇宙天気は見てると面白い

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https://swc.nict.go.jp/trend/es.html
スポラディックE層 活発

何が活発の原因なんだろう?
活発になると無線とか届きやすくなる。
本来、飛んでいく波が反射されるから。
さてさて、、、何があるんだろう?

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いつもの先生のメール

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結論、もう何が起こってるのか分からない。
ここにきて色んな事が出てきている。
分からないけど、ついていかなければ、、、
でも訳分からない。

映像いじるとか、全部影武者みたいな、、、
マジかよ、、、
もうそういう状況なのか、、、
てか、そんな大嘘通るのかよ。
確かに、一つの勢力をまとめるには彼らのシンボルが捕まっていないと示すのは大事だけど。

もう、やばいぜ、、、
訳分からないぜ、、

ただ、、、
ボンジョビの名前を聞くと銀シャリのネタの橋本のツッコミを思い出す。
銀シャリのネタ【料理のさしすせそ】は大好きなネタの一つ。
橋本のツッコミの豊富さが好きです。
あんなツッコミできたら面白い。

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情報通信研究機構

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スポラディックE層活発

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https://swc.nict.go.jp/
宇宙天気

・・・・・・・
遠方の放送とか受信したりして、、
夏とかに本来活性するらしいけど、、、
うむむむむ、、、、

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やっぱりね、、大麻合法化は、、

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https://news.yahoo.co.jp/byline/inosehijiri/20210117-00218070/
NY州、知事が大麻合法化に並々ならぬ意欲 バイデン政権の対応は?


やはり大麻合法化は怪しかった。自分の知り合いから教えてもらった情報で大麻合法化の裏について情報あった。読んでみて、やっぱりね、といった感想。結論は大麻合法化はマフィア、ギャングの財源合法化という事だった。

大麻は非合法だった時から流通していた。流通するという事は当然流している奴がいるし、栽培している奴がいる。僕らは大麻関連で芸能人が自宅栽培してたりしているのをニュースで見て、小規模で個人が栽培するから大麻が流通すると思っている。違うのだ。大量の大麻を流通させるには当然、専門で作っている奴がいる。非合法の産物を作っている奴がまともな奴である筈がない。大麻合法化はそのような奴らの財源である大麻ビジネスの財源合法化を促進するのだ。大麻ビジネスを行っている奴ら、いわゆる麻薬カルテルだ。麻薬カルテルで有名なのは80年代の巨万の富を築いたパブロ・エスコバルか。今では中南米で麻薬組織が幅を利かせてる。大麻合法化はそんな奴らの財源助成策だろう。ヤクザが怪しいIT系企業をフロント企業として使うのと同じだ。そういえば麻薬カルテルはミャンマーでも勢力を張っている。ミャンマーは麻生と関係が深い。麻生さんは何かと黒い噂が絶えないな。

さて、大麻合法化もきっと米国政治で考えるとロビイストが活動したと思う。大麻の特許を入手した製薬企業も関係してるだろうし、その背後に製薬企業と麻薬カルテル達の癒着があるのかもしれない。アメリカの政治はバイデン政権になって本当に大丈夫だろうか?

そして気になるのはやはり日本だ。米国、カナダ(トルドーの国。こいつも怪しいね)の大麻合法化を受けて、日本でもさかんに大麻合法化の声、大麻関連製品の販売が増えている。なんでも今年は大麻イヤーなんだとか(なんじゃそりゃ?)。オーガニック界隈も大麻をプッシュする人々が多い。もう、もはや農家さんを支援する本来のオーガニックの理念とか関係なくなってきてる。グダグダだ。結局、オーガニックという言葉はハリウッドトレンド、欧米のオシャレ製品を輸入する言葉みたいになっている。そこに更に大麻合法化だ。ますます怪しくなってきた。

僕は環境について心配する事沢山はある。しかし、最近の環境運動、オーガニック運動は政治家とそこに近しい人がビジネス的に考えた物にしか思えない。これについても政権が変わる事を期待している。
まあ最後に色々今も言っている麻生さん。アベノマスクが問題になりましたが、まあ麻生さんも関係がとても深い。アベノマスクを製造したのは興和株式会社だけれど、マスク受注先はミャンマーらしい。ミャンマーの関係には安倍昭恵のお友達や、自民党の甘利もいる。真っ黒。

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州兵2万5千人

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https://r.nikkei.com/topics/topic_trend_21011300
日本時間19日
観衆の代わりに国旗、州兵は最大2.5万人

バイデン就任式は厳重警備で行おうとしてる。議事堂の騒ぎがあったから米国はもう厳戒警備体制だ。

結局、、バイデン、、、?

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【日本改造計画への誤解】

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小沢一郎さんの日本改造計画への誤解。この計画は当時の日本の政治、産業活性化への方針が書かれている。多くの人が新自由主義への道が書かれてる本と書評している。たしかにそうである。しかしそれは現在に竹中平蔵が進めている新自由主義、小泉政権が進めた新自由主義とは全く異なる。ここの理解が大切だ。

本書籍を読むと、小沢一郎さんは無闇矢鱈に新自由主義へ転換せよ!と説いている訳ではなく、国民のセーフティネットは政府で確保した上で、後は自由に国民が生活して豊かになっていけという考えの元、書かれている。

一見、竹中平蔵のセーフティネット案は同じように思えるが、あれは全く違う。竹中平蔵はセーフティネットを国民を黙らせる為の対価くらいにしか考えていない。働けども国民は豊かにならない。小泉、竹中平蔵の新自由主義は国民が経済活性の歯車でしか無い。経済活性するのは上部の富裕層のみだ。

小泉、竹中の新自由主義は間違っている。本当の新自由主義は国民自身が豊かになる可能性の幅を広げる事だ。それこそが日本改造計画の一つの要諦だ。

僕は共産主義的資本主義、即ち小沢一郎さんの日本改造計画的な考えが一番だと思う。生活ラインの最低はきちんと確保する。その上で働けば豊かに国民自身がなっていくというのは最高ではないか。

今はコロナで様々な補償が必要だ。でもコロナ後はそればかりでは産業は活性しない。国は成長しない。働けば豊かになる!と展望が有れば、特に日本人は勤勉に働くだろう。だからこそ、小沢一郎さんの改造計画は日本の成長方針になっていく。

自由とは豊かになってゆく為に大事な事だ。しかし小泉、竹中の新自由主義は自由になるのは国民ではなく貨幣だ。本来、手をつけるべきでない年金も競争の名の元に資金活用され、結局は外資に流れていった。お金は他国に流出したので年金は失い、国民の豊かさは減った。おかしな新自由主義ではないだろうか?

小泉、竹中がやった事は新自由主義ではない。今で言えば自助、昔は自己責任という名の下、国民には文句を言わせず、国民の権利を奪い貨幣を吸い上げる人間管理主義だ。

だから資本主義の評判が悪くなる。でも本当は違うんだ。小沢一郎さんの日本改造計画と小泉、竹中の進めた新自由主義っぽい人間管理主義は全く違う。寧ろ、小泉、竹中が進めたのは人間管理主義、いや正に一部の富裕層が貧困層を管理する植民地的社会主義だ。

小沢一郎さんは本当に誤解されている。国民がどうしたら豊かになりやすいか?それを考え抜いたのが日本改造計画で、小泉、竹中が進めたのはどうやったら国民から金を吸い取れるか?だ。だから規制改革!規制改革!とを連呼して、本来触ってはいけない領域まで壊してしまった。そうしてこの国は歪な形になった。

だから日本改造計画とは視点が全然違う!そこを有権者の方々に本当に知って頂きたいです。小沢一郎さんはメディアの妄言で誤解されている。本当に誤解されている。メディアの言葉を鵜呑みにするのではなく、まず小沢一郎さんは一体何を言っているか、どんな事を言っているか?自分の目と耳で確かめて欲しいです。本来、メディアの話を聞くのはそこから先の話になる筈。

だから政見放送の様に議員さんの説明をテレビの編集無しで直接国民が聴く事ができるテレビ局が世論の中心に欲しいのです。

とにかく小沢一郎さんは本当に誤解されてる。あれだけ温かい政治家の重鎮はおられない。

追記、、
いやいるのかもしれない。僕が知らないだけで。ただ言いたいことは伝わったと思う。心温かき日本のドンだ。

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寒い時期は、、

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熱燗っすな
やっぱり

最近はオシャレなお店が多く、赤提灯が減ってしまっている。アルコール離れも多いから、、。

でも温かいは大事だね。ホッとする。やはり熱燗はいい。

赤提灯とエイヒレ。
たまらん!!!!

でも今は入れない。
こういう時代だね

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武術とIT技術と芸術と自然

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https://m.youtube.com/watch?v=lDLwxVcuT2M
【世界に誇る武道研究家②】知性と行動力の源泉[後編](日野晃先生のお話)

金子みずすの詩の名前の様な題で始まったけれど、上記の共通点は何か?
デザイン性と自分は考えている。どういう事か。

デザイン性とは何か。これは統合性または統一性だ。統合性、統一性とは一貫しているという事である。では上記の題でなぜこれが共通項なのか。その説明をいきなりすると難しいので、自分がなぜこのような考えに至ったのかを聞くと分かって頂けるかと思う。

自分は幼少の頃、一番大好きだったのがレゴブロックだ。幼稚園から外で遊んで帰ってきては家に帰ってレゴブロックばかりやっていた。しかし普通とは違う遊びをしていたのは覚えている。レゴブロックの説明書を見ないのだ。自由勝手に組み立てていた。最初はもちろん見る。レゴブロックの箱に書いてある城やエジプトの遺跡、ピラミッド、海賊の島等をどうやって組み立てるんだろう?と思っていた。しかし途中から全然説明書通りには作らないようになった。それは説明書の構造が好きじゃなかったからだ。海賊の島を作るときに、なんでここに落とし穴なんだろう?とか、ピラミッドシリーズを組み立てる時には、ここにミイラを置いて復活するという方が冒険者的には怖いんじゃないか?、みたいな事を漠然と思っていた。そういう日々を重ねていくと両親が心配をする。それは「この子は年齢と頭の調子が追い付いていないのかしら。先生の言う事が分からないのかしら」といった具合だ。しかも最悪だったのが自分の両親は医者だった。そこでなんか色々心配してたらしい。そこで両親の心配を更に加速させたのが小学校お受験(受験に「お」をつけるお受験って嫌いな言葉だ)。

受験では絵を書く事になった。真っ白な画用紙に好きな絵を描いてくださいとか言われたうっすらした記憶がある。周りも動物とか車とかそういう絵を描いていた。そこで自分が行った事は真っ白い画用紙を全部黒く塗りつぶす事だった。これは後で知った事だが、この画用紙を黒く塗りつぶすのはお受験幼児教育ではかなり精神的に問題を抱える子が描く絵の傾向であるらしい。しかし自分はその時は一切白が無い黒い紙もいいじゃないか、くらいにしか思っていなかった。ただし両親は卒倒ものだったらしい。こちらとしてはそんな事は知らん。ただそこから両親のスパルタは加速していった。今、思えばこっちの方が最悪だ。

さて、無事、小学校に進学しても自分の性格は相変わらずだ。寧ろ逆に反骨的な部分に磨きがかかった。それは自分には兄がいたからだ。兄弟で年子だと、だいたい兄のおさがりが自分の服とかになる。正直、服とかはどうでも良いが「兄貴の言う事を聞きなさい」、この言葉が大嫌いだった。なんで一年早く生まれたコイツの事をなんでもかんでも聞かなきゃいけないんだよ?と両親に良く言っていた。そういう中で心が解放される一つにクラシック音楽があった。当時は『ウィーンフィル』という月刊誌があり、毎月、そこに何らかのCDが付属される。自分が最初に出会ったのはヨハン・シュトラウスの喜劇コウモリの序曲。もう、朝から晩までずーっと聞きまくっていた。そこからモーツァルトや、ベートベン、ラフマニノフ、シューベルト、ショパン、マーラー、、、そういう楽曲を聞きまくった。ヘッドフォンをして、目を閉じてその音の世界に没入していく。今、思えばあれはその音楽家の描く世界にトリップしていたと思う。

そういう中で小学校5年になった時、出会ったもう一つがビートルズだ。青と赤のベスト盤があり、その中で色々聞いていた。Back in the USSR。なんだこれ、今までの曲と全然違うぞ!とそこからロックンロールに出会う。学校ではみんなのうたの歌集から色々クラスで歌うのだけど、個人的には気分が上がらない。家に帰ってはビートルズを聞きまくる日々。そんな日々の中で解説を読んだ時にロックンロールって何かを少し知る。反抗の曲、抵抗の曲、不良の曲、問題児の曲、色々な書かれ方をしていた。しかしジョンレノンの反戦の曲等で反抗するのは当たり前じゃね?と思わされる事も多かった。そこからこのロックンロールの背景には何があるんだろう?ロックンロールの思想って何だ?とそういう何か社会の構造的な部分に興味を持ち始めていた。つまり、何か運動とか動きとかって後ろに何かあるのかな?という事を漠然と思っていた。無論、当時はそんなにきちんと認識はしていない。なんとなくだ。それよりもロックンロールで騒ぐ当時の人々と両親に対して色々言っている自分がリンクして、この人達仲間じゃん!ロック最高!みたいな事で聴いてた事が大半だ。そして『なんか偉そうに言ってるくせに、親父もロック聴いてんじゃん』みたいな思いも強くあった。もちろん当時は親父なんて言ってない。

ただそこからまた背景、思想といった物を考えさせられる事が起こる。中学での部活、合気道だ。それまで知っていた運動とは全く違った。ヨボヨボの白髪のおじいさんに自分が投げられたり、いともたやすくかわされ、いなされ、吹っ飛ばされてしまう。なんだ、これ、これどうやったらできんだ?みたいな事の繰り返し。合気道を始めた当初はもう力技で一教、二教等をやっていた。しかしそれではおかしい事に気づく。おじいさんはそんなに力を入れていない。大学からくるコーチも力を入れていない。おかしい、何かおかしい!と。合気道は力技である部分まではすぐにいける。でも、それだけでやっていくと絶対、一定のレベル以上にはいかない。それは合気道とは正に気の流れを意識して、動きの中に取り入れているからだ。達人であればあるほど見えない気という存在を取り入れて動いているからだ。合気道の入り口部分までは力技でなんとかいける。しかし途中から圧倒的に差が開いていく。つまり合気道は力技でやり続ける事を想定して伝播された技術ではない。気という思想観念と共にある武という事だ。
当時の僕はこの事を強く思い知らされる。武の動きはその武が形作る動きの背景、思想と共にあるのだ。技の極意にいくには思想観念まできちんと理解しなければならない。それが合気道との出会いで痛感させられた事だ。当時の自分の言い方で言えば、『背景も考えなきゃいけない』という事。この中学の三年間は小学校から漠然と考えてた事が何か形になりはじめた時期だったと思う。

そして高校時代。高校j時代は特に濃厚だった。その中では養老孟子さんの本と部活と弁証法という考えに出会った事が大きい。動きは物事の背景から始める、と考え始めていた自分は高校時代では社会的な話に特に興味を持った。そんな中でまた別方面で興味をもった話がある。それが芸術だ。芸術と言っても僕は絵がうまかったりする訳ではない。それでも今の自分に繋がる事を教えてくれた事の一つは芸術の授業だった。物事の背景から動きが生まれるという事を漠然と考えていた日々、ある時、芸術の授業で奥山清行という人物を知る。そうフェラーリのデザイナーだ。現代芸術最高傑作の一つであるフェラーリ、その美はどこから生じるのかというドキュメンタリー番組だった。そこで、フェラーリの美は自然や他の作品から影響を受けていると知った。そこで驚いた。マジか、フェラーリの美しさはめちゃくちゃ計算し尽くされた結果じゃないのか!?と。     

『フェラーリと鉄瓶 一本の線から生まれる「価値あるものづくり」』
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-67413-1

そして美とは何か、という事を考え始めた。ダヴィンチが絵を描く際に素描を重要視した事を知り、自然の観察の重要性を知っていたという事から「美とは何か」という事を自分なりに考えた。結論は、それはなるべく自我を入れない事ではないか?という事だった。なぜか。ダビンチにフェラーリにしても、ランボルギーニににしてもアストンマーティンにしても、美しさのモデルとは自然の中から着想を得る。各デザイナーは自然の中の美しさに魅力、パワー、エネルギーを感じてそれを作品に活かす。作品に活かすという事は当然、一旦、自分の中にその美しさを取り込むのであるが(斎藤孝さん的に言えば身体化、自分の中にくぐらす)、その時に得た美しさを自分本位だけの都合で自然美から離れてしまった瞬間に美しさは消えてしまうらしい。自然という美しさは誰もが見ても驚嘆し、感動する。その美しさを作品の中に取り込む為に、如何に丁寧に再現するか?自我、自己本位性を抑えて作品の中に如何に自然のリズムを再現するか、それが美であると自分は思えた。それは武術でも部活のスキーでもなんでもそうだ。物事には自然のリズム、流れがある。それを自己本位で崩してしまうと全てが狂っていく。スキーでも早く滑走するには体と重力、遠心力とのバランス、ターンの曲線をいつ描くか、武術ではそれは身体の動きだ。自然から取り入れた着想を如何に自身の中で再現できるか、それが美なのではないだろうか、という考えを持つようになった。つまり、一般的に思われる美、ある面でのナルシズム的な美は僕の考える美とは全く違うのだ。

デザインとは各々の美を再現する思想観念であり、哲学である。そこから僕は武術家への尊敬の念を更に強くした。酔拳や蟷螂拳も観察の中から生じた動きだ。武とはやはり美に通じる何かがある。芸術家の音楽や絵を鑑賞する時、あるいは武術家の技を受ける時、僕らはその運動、動きだけを受けているのではない。作品や技を通じて感じられるその奥に潜む、思想観念、哲学まで一緒に受けているのである。だからこそ最高の音楽や絵画を見ている時に物理次元を離れてトリップする事ができるのだ。作品を通じて作品を生み出した思想に触れ、その時に周囲の物理次元を超えて作者の世界観である情報次元、あるいはその上の次元のエネルギーを受けるからである。だからこそ自然美の再現性が高い楽曲や絵画、あるいは技にはパワー、エネルギーがあるのだ。芸術家達が感じた自然美を最もエネルギー活性が低い物理次元へ落とし込むからだ。位置エネルギーと運動エネルギーは相関する。抽象度が高い(つまり位置エネルギーが高い。情報次元や霊的エネルギー等)と、高い分、運動エネルギーに落とした時(作品で表現する時)に発するエネルギーは高くなるのである。伝わっただろうか?だから最高の芸術家の作品を鑑賞するとよく【天にも昇るかのような高揚感、恍惚感】と表現されたり、モーツァルトの音楽は【天上の音楽】と表現される。あれは唯の比喩表現ではない。正に何かの動きを表している。先程の表現に共通する事は【昇華】だ。つまり“上がっている”のだ。では何が“上がっている”のか。当然、“上がっている”のは鑑賞者であるが、もちろん鑑賞者が絵を見て感動して物理的に上がっている訳ではない。あの表現がなされるのは、明らかに情報次元というか、物理次元を離れた次元で高揚感、恍惚感を感じているのである。それがトリップという感覚だ。
https://www.youtube.com/watch?v=dGX3temma5Q
Rachmaninoff: Piano Concerto no.2 op.18 Nobuyuki Tsujii blind pianist BBC proms

しかし大切な事がある。良い芸術を見出すには、鑑賞側にも経験を要求する。海の安らぎ、波の豊かさ、山の険しさ、風の温かさ、そういった物を鑑賞者自身も体感し、感覚知として知らなければその芸術を深く感じ取る事はできない。つまり、それこそが感性があるという事だ。芸術や武術の感性は正に【天使のように大胆で、悪魔のように繊細】でなければならない。だからこそ美は自己本位性を否定する。自己本位、自我が一杯であれば、自然の息遣いが聞こえなくなるからだ。繊細さも大胆さも無くなってしまう。美とは自己本位を消した再現性だ。つまりそれは普遍性を追求する事に他ならない。自己本位、自我を抑え、抑えた先に何を求めているか、広大無辺に広がるであろう究極の普遍さだ。その普遍さが織り成すエネルギーである。エネルギーを高く表現するには、背景、思想、理念、観念を理解し、それを表現する。精神的位置エネルギーが高いところから最も次元が低い運動レベルまで落とし込むにはどうするのが一番良いか。落とし込むという言葉の通り一直線にエネルギーを落下させるのが良いのである。つまりそれが統一性だ。別な言い方をすれば知行合一である、という事だ。また別の言い方をすればそれが【誠】だと思う。精神、思想レベルから行動に至るまで一貫している。霊的なレベルから、感性から、精神レベルから運動、行動まで、大きな柱で貫かれているイメージだ。法隆寺の塔を考えてほしい。大きな柱で貫かれており、一つの建物を形成している。まさにそういう事だ。デザインとは思想から行動まで統一されているから美しいのだ。

思った以上に話が長くなってしまった。まあそういう事で後に弁証法、アウフベーヘンを知り、更に統合するという可能性の広さを知ってゆき、仏教に至る。またその話をすると長くなるので控える。

そしてIT技術はどこで関わるんだよ、という話だが、それは無論、大学だ。IT技術というのはプロトコルで通信を管理する事を知る。一つのデータを送るのに7層くらいに分かれた送受信ルールで通信を管理していく。それが正に今まで述べてきた統一性の考え方と同じなのだ。ネットワークという世界は当たり前であるが統合性のあるデータしかやり取りできない。

そういう話を知った時に気の転写とかもIT技術を使って再現できるのでは?と漠然と考えていた。そういう中で映画マトリックスを見ると現実とは何か?とかそういう色んな疑問を持つ。そういう考えの積み重ねでパラレルワールドとかあってもおかしくない、とか思うのである。そして、無論、物理次元を超えてトリップできる次元があるなら、究極の次元に霊的な世界や、神的な次元があってもおかしくないと思ったのだ。そして先程の芸術の考えでいえば、この地球という現実空間を構成しているエネルギーがあったとして、多分、それは究極的に高次元で抽象的な存在である筈だ。それは位置エネルギーの高さが運動エネルギーに転換されるからである(つまり高エネルギー=次元が超高い)。弁証法とか複雑系の世界さえ飲み込んで抱合するエネルギー、有、無の概念の更に上の次元、その更に上、、、、と考えていった時に神って何だよ?みたいな話になってくるのである。

無論、そんなのは答えなんて出ている訳はない。しかし、あってもおかしくない、と思うのである。ただ先程も言ったように芸術家の世界を理解するには自身も経験豊富でないとならないように、神的なエネルギーを理解するにはそれだけ自分にも何か神的な経験と言うか、素養が無ければと思うのである。無い場合は結局、芸術が分からない様に神的な存在も気づかない筈だ。そうなると、神というエネルギーがもしあったとして、それは分かりやすいエネルギーだろうか?とも思うのである。偶然とはもしかしたら神的なリズムの中では必然だったのかもしれない。ただその神的なリズムを唯の人間が理解する事は無いだろう。

物凄く長い説明になったが、だからこそ僕の中では僕の先生に物凄い直観がある事や、先生の知っている人物がIT技術のプロでありながら究極の陰陽師である事は以上の考えから何もおかしい事では無いのだ。神的なリズムを感じ取るには繊細さと大胆さが両立していなければならないし、だからこそ先生たちは高次元のレベルで物を理解なさるのだと思う。いや、もしかしたら、先生の知り合いは全員がそんな人々ばかりなのかもしれない。

【日本の弓術 オイゲン・ヘリゲル】
https://www.iwanami.co.jp/book/b246856.html

そして、先生方がさらに先生と呼ぶ小沢一郎さん。もはやどのような境地かなのか、、。小沢一郎さんは神社へ参拝なさるらしい。それは安倍の考える神社参拝と似て非なる物だろう。百術不如一誠。小沢一郎さんの仰る誠、その貫いておられる誠の世界観は僕は全然理解できてない。遥かに広大な視野で物事を観られておられるのだと思う。そのほんの一端を日本改造計画で痛感させられる。90年代の初頭にこれだけの事を既に述べてらっしゃるのか、、、と。読了後はまず驚きで静かになった。

【日本改造計画  小沢一郎】
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000176464

あまりに長くなったので、途中から端折ってしまったが、少しでもスピリチュアルではない精神と合理性と自然と美のつながりについて考えていただければ幸いである。昨今の合理性はあまりに言語で切り取る事に重きを置きすぎている気がする。本来、合理性とはある広大な高い視野があり、その中で統一性をもって構成される理であると考えている。しかし、現代は合理性の主な構成因子は貨幣だ。貨幣の多寡は次元を超えるものではない。貨幣の多寡のみを追求する事は次元を超える視点ではない。だからこそ、現在、多くの人が言う合理性を僕は疑っている。合理性が合“利”性になっている。“理”が全く無いのだ。

視野の高い視点も持たず、運動次元だけの利を求めるから行動に一貫性、統一性が生まれず、そして歪になっていく。階層構造の美しさは互いの層が連携して一つの統合体を作り上げているからである。しかし、今の多くの政治家には政治哲学は無く、同一次元内の利ばかり求めている。建物を建設する時、ある一つの層だけにしか注目せず建物を考えれば、建物自体は歪になるであろう。正に、それが今の自民党の政治だ。

どこかで先述した通り、合気道の動きは背景に気の動きの理解、思想があって成立している。それを運動次元のみしか考えなければ技の会得はできなくなる。そして行き詰まる。僕には今の社会がそのように見える。今の自民党の政策や言動がバラバラなのも、政治家に何か貫くエネルギーが無いのだ。目先の利ばかり追っている。だから行動に統一性が全くない。

百術不如一誠。この言葉の百術とは何だろう?合気道的に考えれば、気の動きを理解せずに必要以上に筋肥大だけを求めて、力だけで技をかけようとする事かもしれない。筋肥大する為に筋トレとか、最新のプロテイン飲んだりとか、最先端の理論とか色々学ぶのだけど、気の理解をしないので、結局、技の極意に到達しない。いくら術策を駆使しても視点が違うので次の境地に到達しない。そして不安になり、焦り、やがて身を滅ぼす。一方で気の動きという根本から理解に努めた時、技の習得は容易でなく、時間はかかるが段々と少しずつ達人の域に近づいていく。日々も発見が多く心の充実があるだろう。百術不如一誠とはそういう事だろうと思う。

今後、IT技術が普及するからこそ考えたい事だ。思想を無視して運動だけを取り出して考えても極意には到達しないとはそういう事だ。今は部分を取り出して色々といじくりまわしてもとりあえず形になるのは、そこに金銭が発生するビジネスとなっているからである。しかし、最後に本当に残るのは誠を持った人だ。ジョジョ5部のディアボロとジョルノ。ディアボロはなぜ負けたのか。そこを考えなければ。ディアボロの能力は他者の時間、過程を吹っ飛ばし、自分はその間に自由に振舞える事である。言い換えればインチキだ。今の自民党も同じだろう。インチキし続けた結果、頂点にいると錯覚し桜を見る会でこの世の春を謳歌していた。しかしそれは全部偽り。今、どんどんメッキが剥がれ落ちている。今まで出鱈目こいてた分、現状の対策が何も分からない。『生き残るのは・・・・・この世の「真実」だけだ・・・真実から出た『誠の行動』は・・・・・決して滅びはしない・・・』 ジョジョ5部にてジョルノがディアボロへ言ったセリフだ。自民党は果たして滅びずにいられるか?僕はとても難しいと思う。今の自民党は烏合の衆の様に感じるからだ。自身の考えで自民党にいる!と言える人がどれだけいるだろうか。

昨今の謎の出鱈目なスピリチュアリズムが広まる中で、僕の考える神的な話を展開した。まだ全てを整理して話せている訳ではないと思うが、百術不如一誠という言葉が何にも出鱈目でない事が伝われば幸いだ。つまり武や芸術は本質的には小手先のテクニックではない。正に生き方。だから武“道”なのだ。そして生き方の話であれば死と隣り合わせの話に通じる。だから代打ち(ヤクザの代わりに麻雀する人、当然、命を賭ける)である桜井章一さんの話と小沢一郎さんの話が僕の中ではリンクするのである。

まとめれば運動は思想を抜きにして考える事はできない。運動の背景に思想があり、その思想が運動を為すからである

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田村厚労相に同情するのやめました

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いや、前、どこかで田村厚労相は業務大変らしいと書いたのですが、申し訳ございません。同情しませんわ。自分の認識不足でした。

いつものメールで今日知りました。
どーしようもないっぽいです。

まあやはり結局、自民党全体がおかしいのか、、、、

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