16の章からなる料理のエッセイ集ですが、みずからの料理を通して「料理は暴力である」といわしめ、あくなき探究と好奇心と、どうしようもない飢餓心でもって書かれているのに、驚かされます。
単行本としての刊行は1992年(講談社文庫)ですが、料理全般の知識と 歴史を知る上では何の弊害も感じませんでした。
著者自身が出版関係の会社に勤めており、その関係でかかわってきた人間関係も理解でき、B級グルメとしての雑学としても楽しめる一冊でした。
ちなみに表紙のデザインはイラストレターの<安西水丸>で、著者が『太陽』の編集長を務めていたときに、デザイナーからイラストレターへの転身を進めた経緯があります。
震災後、新しく店舗を建て替えられ、営業されている花屋さんです。
お店の名前は「潤」。神戸国際会館の南側、フラワーロードの1本東側の道に面しています。
背丈ほどの植木類も販売されていますが、ほとんどのお客さんは、鉢植えのお花を買われています。
安いんです。半額とはいいませんが、一般の花屋さんに比べて随分とお得感があります。
そろそろ春先の花壇の準備もあるのでしょう。たくさんのお客さんが来られておりました。
ただ、前面道路はフラアーロードの抜け道的な所で、おちおち店の前の鉢に気を取られていると、クラクションの音を聞くことになってしまいます。
両手いっぱいに苗木を買って帰れれるご婦人の後ろ姿をみると、大きく育ってくっればと思ってしまいます。
そう、花は「元気」を与えてくれますよね。
毎月一日は、湊川神社において「一の市」が開催されます。
JR神戸駅より、山側に歩いて三分。目の前に湊川神社はあります。
神戸っ子は、湊川神社というよりは「楠公(なんこう)さん」と呼ぶのが一般的です。
本日一日は、手作りの店が境内に軒を並べる日。竹の編み細工、焼き物、木工製品等、様々な店が出店しています。
残念ながら、この催しも新しく、まだ一般的には広まってはいません。
それでも出展者同士が、和気あいあいと会話をしながらの出店の雰囲気は心がなごみ、そんな光景がわたしは好きで、ブラブラとお店を眺めながら歩いております。
なんとなく気の合う仲間が集まって飲んだ焼酎の銘柄が、「赤とんぼの詩」だったこともあり、2か月に一度に行っている飲み会を「とんぼの会」と称しています。
例会はJR神戸駅近辺で行うのですが、今回はたまには河岸を変えてとのことで、JR三ノ宮駅にての集合となりました。
JR三ノ宮駅は、阪急三宮駅と一体化した西口、中央口、東口と三か所の改札口があります。うっかり聞き流してしまいますと、当日携帯電話で、どこの改札口かを確かめるやり取りをしなければいけません。
単に中央口といいましても、神戸のメイン駅ですので人も多く、うろうろするのも煩わしいのですが、「金の鈴のところな」で理解できます。
一応中央口に天井からぶら下がってはおりますが、端の方にあり、また高い天井部分ですので、ほとんどの人は、気付かずに通り過ぎています。
阪神・淡路大震災以前の平成6年に、大阪〜神戸間の鉄道開通120年を記念して、取り付けられました。
高い場所にあるものですから、小さく見えますが、直径約50センチ、高さ約70センチで、真鍮の下地に金箔を貼り、メラミン樹脂にて保護されています。
正式な名称は”愛鈴(アイベル)”=逢い鈴にひっかけています。
JR東京駅には、「銀の鈴」があるらしいです。残念ながらわたしはまだ、どのような鈴なのか拝見できておりません。
神戸国際会館の前で、偶然見かけました<石焼き芋屋さん>です。
町中の住宅地では、防災上たき火もできなくなり、落ち葉を集めての焼き芋作りは、昨今では夢のまた夢です。
じっくりと時間をかけて焼いた焼き芋は、ほっこりとして味わい深いものですが、都会では諦めなければいけない味になりつつあります。
この手の<石焼き芋>は結構な値段で、もはや庶民のおやつとも言えず、落ち葉を集めて焼いた<焼き芋>の味を知らない世代が多くなりつつあるようです。
マイクから「いしや~き~いも~、いも」の声が流れているのですが、誰も近寄ることもなく、なんだか寂しげなお昼の景色でした。
(神戸の台所、東山市場にて)
本日28日は、瀬戸内海を中心として、いかなご・しんこ漁の解禁日です。
いかなごを「くぎ煮」にするために、朝早くから、魚屋さんに列を作っての買い出しとなります。
春3月の初旬の、明石から神戸にかけて、この時期の風物詩といっていいでしょう。
それぞれの家庭で、味付けが違うのも、また面白いと思います。
「くぎ煮(佃煮)」と呼ばれるのは、出来上がりが「さびた釘」に似ているところから言われ出されたようですが、言いえて妙な形ですね。
昨年は不漁で、随分高額でした。今年は冬の強い季節風のおかげで、稚魚が大阪湾まで分散し、プランクトンも広がっていたために、生育状態はいいとか。
それぞれの台所から、煮しめた甘ガライ匂いが立ちのぼりますと、本当に春はもうすぐだという感じがいたします。
結婚を決めた<工藤泉>は結婚相手のかたわらで昔の恋人のことを思い出し回想していた。高校卒業式の日、演劇部顧問の<葉山貴司>先生とのある出来事が起きて以来、<泉>の気持ちはずっと同じ場所にあった。大学二年生の春、泉は母校の演劇部の練習にOBとして参加することになり、<葉山>先生と久々に再会する。
高校生だった<泉>は、<葉山>先生のことが好きで、少しでも力になりたいと思っていた。また、<葉山>先生は<泉>を必要としていた。再会した二人が、互いに惹かれ合う気持ちを再認識すると、静かに抑制していたはずの感情が、再び熱くうずき始める。
「お願いだから私を壊して、帰れないところまで連れていって見捨てて、あなたにはそうする義務がある」「無理だ、僕にはできない」
<葉山>先生はある事情を抱えていて、どれだけ互いに求め合っても、決して結ばれることはない。それでも、一度蘇った情熱は、許される限り近くにいたい、力になりたい、触れたい、愛したい、と二人を突き動かすのだが。
「ナラタージュ」とは、映画の回想シーンで多く用いられる、語りによって物語が展開していく手法のことをいみします。登場人物のキャラクターや心情、情景が丁寧に描写されていて、本書の世界に深くはまり、自分の中にある熱いものが呼び覚まされていきます。
高速神戸駅と新開地駅は、地下街でつながっています。歩いて500メートルばかりでしょうか、その地下街の通りに面して、古書店が3軒ならんで営業されています。
神戸に出ました時には、必ず寄る場所です。
一般書籍をはじめとして、漫画本やアダルトビデオなんかも多くありますが、なんといっても100円均一、200円均一といった低価格なのがありがたいです。
新開地・福原と大衆娯楽が背景にある場所柄ですので、何千円もする専門書が100円均一に入っていたりするので、わたしなどは嬉々として購入させて頂いております。
反面、司馬遼太郎や山本周五郎、柴田錬三郎といった歴史物の文庫本が200円均一といった具合で、売れ筋は高価格(それでも安い?)です。
書籍自身の定価とは関係なく、売れるものは高く、売れないものは安くという法則が生きているのがうれしいですね。
店を構えて販売している多くの古書店は、売れなくても定価を基準とした値段設定が多いように思えますから。
神戸で一番の繁華街は、「三宮センター街」でしょう。
その中に、1918(大正7)年創業の「神戸センター」があります。残念ながら、本日をもって90年の営業に幕を閉じます。
創立当初は、家具屋さんでした。その後、時代の流れでしょうか、インドネシアやバリといった民芸品や雑貨のお店として営業形態が変わり、小さな木製の「神戸人形」の販売も手掛けられていました。
阪神・淡路大震災でビルが全壊、1998(平成10)年にビルを再建され、かばん専門店として再出発されていました。
子供の頃の建物は、隣接するビルと一体のような構造で、自由に行き来でき、所狭しと並べられた世界の珍しい雑貨品を、眺めていた記憶があります。
『古書店が消えてゆく』 (2007年12月16日)に書かせていただきき、この1月14日に創業98年の歴史に幕を閉じた「後藤書店」は、この店の2軒西隣りです。
メイン通りの「三宮センター街」の老舗として続けての閉店ですが、また違った店舗が登場し、歴史を積み重ねてゆくことでしょう。
階段を上ろうとして、ふと足元を見やると、かわいい野菊が一輪。
階段の真ん中あたりだと、上る人に踏まれて育たなかったでしょう。
運よく端っこの隅の部分に根付いて、難を逃れて幸いでした。
わたしも、この野菊のような立場で人生を過ごしてみたいなーと感じてしまいました。
可憐に咲き続けてもらいたいものです。
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